ピザ屋プリンの35過ぎたらやらなきゃいけない話

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コロナと孤独

コロナ、コロナですね。

私達はもう2年もの間、この未知のウイルスと闘っているわけです。

インターネットは人と人を繋げるはずが、個々人を孤立させてしまったと私は考えています。

そして、このコロナが、さらに個々人の孤立感を強くしていってるな、と。

インターネットの台頭により、私達は直接会わずして、相手とコミュニケーションを取れるようになりました。

そして今では、顔を見ず、声を聞かず、メールのやりとりだけで連絡するのが当たり前となっています。

SNSは私達の「寂しい」という感情を刺激します。誰かに会いたい、伝えたい。そんな気持ちで投稿して、投稿した後に他者はどんな反応をするだろうと考えます。それは直接のコミュニケーションではあり得ないことです。直接会えばリアルタイムで感じられる他者の反応が、SNSではタイムラグが発生する。だから携帯からの通知に反応してしまう。中毒性。

 

私達はリアルでのやりとりにおいて、無意識に他者の反応を考慮して自分の主張を変えています。相手の表情や仕草、声のトーンによって、お互いの心地良い領域を探っているわけです。

 

しかし、文章は危険です。相手の反応がわからないまま最後まで出し切らないといけない。これは怖い。

 

人とのコミュニケーションには一定のストレスがつきものです。同じ考えの人間などいないのですから、自分を抑制し、考えなくてはならない。

 

メールやSNSはそのストレスから解放してくれるものですが、一方で相手の反応が見えないというリスクを負っており、時には思いがけない事態に陥ります。

 

面倒くさく思えた飲み会の帰り、思いがけず気分が高揚していることに気づくことがあります。私は人と話す事が好きだと改めて気付かされる瞬間です。

気の合わない人もいるし、思わぬクレームを受けることもある。ムッとして、どっと疲れる。そんなやりとりから解放されたくてインターネットという手段を選んだはずなのに、気がつくとそこでも気を使い、疲れている。

1人になりたい。1人になりたい。あぁ、寂しい。。。

 

正解がどこにあるのかはわかりません。でも、少なくともコロナ以前にあった選択肢が今、強制的に奪われている。リアルを失った私達はそれまで素晴らしいものに思えたインターネットの限界を初めて意識して、孤立に耐えている。

寂しい。寂しい。と震えながら、オンライン上に映る顔に笑顔を振り撒いている。